【リトアニア】カウナス・杉原千畝記念館

バルト三国の旅

杉原記念館
十字架の丘からバスで3時間、カウナスに到着。
第二次世界大戦中、外交官だった杉原千畝が領事代理として任務にあたっていた旧日本領事館です。
当時、ナチス・ドイツがポーランドに侵攻し、生命の危険にさらされたポーランドに住むユダヤ人のシベリア鉄道経由での亡命の手助けするため、当時のオランダ領事ヤン・ツバルテンディックと連携し、日本政府の意に反し日本通過ビザを発給。
「命のビザ」と呼ばれ、大勢のユダヤ人を救った「日本のシンドラー」「東洋のシンドラー」と呼ばれました。

杉原千畝(1900~1986年) 86歳没
1985年 イスラエル政府より「諸国民の中の正義の人」の称号を授与されました。

日本を経由して北米へ向かおうとしたユダヤ人6000人にビザを発給しました。
南米スリナム、キュラソーなどオランダ領アンティルに向かう目的でした。

実際に使用されていたスタンプです。

記念館の中はすべて日本語表記があります。
ショップの店員さんも上手な日本語を話す若い女性でしたので
「どこで日本語を習ったのですか?」と聞くと
「佐賀大学に留学しました」とのこと。

入館料 4€
まずは3階で15分のビデオを観ます。
タイトルは「葦のようにしなやかに」
この言葉はイスラエルのことわざの一節です。
このあとには「木のように堅くなるな」と続きます。
日本のことわざで言うと「柔能く剛を制す」です。
まさに杉原千畝の生き方そのものです。・・・とナレーションがはいります。

思わず涙が出そうになりました。
彼が発給したビザで救われた人はその子孫も含め25万人以上と言われています。

杉原千畝がビザを発給した時、人間として罪のない人々を助けるという信念と
将来日本のためにもなるという思いもあったのです。

2011年の東日本大震災の時、イスラエルは早い段階で医療チームを派遣してくれました。
イスラエルの駐日大使は
「これは恩返しです。杉原千畝に対する感謝を忘れません」とコメントしました。

彼の行動から学ぶべきことはたくさんありますね。
杉原千畝を扱った作品が多々ありますので、機会があれば読んだり観たりしてみてください。
そして、現地に行きたい!と思ったら、ぜひ、リトアニアに行きましょう~!

シャウレイからカウナスへ向かう道。
ずぅーーーっと平坦な土地です。たまに森林が見えます。

リトアニア第2の都市・カウナス

カウナスについて
リトアニア第2の都市、人口355,000人。
首都ヴィリニュスの西100㎞。

13世紀 ドイツ騎士団の攻撃から街を守るために城壁が作られた。
1441年 ハンザ同盟の都市となり、同盟の商業事務所が置かれた。

16世紀 リトアニア大公国の元で街は大きく発展した。
17世紀~18世紀 ロシア・スウェーデン、ナポレオン軍などの侵攻を受け、また疫病の流行などもあり街は荒廃。

1862年 ロシアとドイツを結ぶ鉄道が開通すると、カウナスは重要な中継地点となり、1892年に最初の発電所が稼働する。

1919年 首都ヴィリニュスがロシアに占領されると、リトアニア政府はカウナスに移転してきた。
1920年 ヴィリニュスがポーランドに併合されると、カウナスは臨時に首都となった。(憲法上はヴィリニュス)

第二次世界大戦までの間、カウナスはリトアニア最大の都市として工業的に発展。
大戦が始まるとポーランド東部と共にソ連に占領されたが、間もなくドイツ軍が侵攻し街は破壊された。
戦後はソ連の一部となり再び工業が盛んになった。
リトアニアの工業生産の1/4を担うまでになり、1966年にはトロリーバスが開通した。

リトアニアを訪問するときは、ぜひともカウナスまで足をのばしてください。
首都ヴィリニュスに滞在して日帰りツアーも可能です。

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