【ラトビア】首都リガは中世の面影が残るユネスコ世界遺産の街

バルト三国の旅

バルト3国の真ん中。
首都はリガ

ラトビアについて

ラトビアについて
面積  65,000k㎡ 日本の1/6  九州+四国くらいかな。
人口  215万人
言語  ラトビア語
宗教  プロテスタント、カトリック、ロシア正教など
民族  ラトビア人60%  ロシア民族28%

リガについて
「バルトのパリ」とか「バルトの真珠」といわれています。
人口70万人でバルト3国の中で一番の大都市。
1201年ブレーメンの僧正アルベルトが上陸し要塞を築いたことに始まります。

13世紀初めにドイツ騎士団が領有し、17世紀に都市として確立。
18世紀後半に大規模な港湾都市として発展。

19世紀後半、人口増加で公共交通網の整備やアールヌーボー建築などのプロジェクトで近代都市になりました。
2001年に建都800年を迎えた。
2023年は822年

≪ラトビアの歴史概要≫

ラトビアの氷河が融けた西暦前9000年、最初の住民がたどり着く。
後に他のバルト語派の部族が定住するようになる。
彼らがラトビア・リトアニアの先祖です。

ラトビアは貿易の要所であり、古代から世界的に重要な交易ルートとして栄え、バイキングからギリシャ人までが広大なダウガヴァ川を渡りました。
12~13世紀にかけてラトビアは領土拡大を狙い、キリスト教を持ち込む十字軍に徐々に侵攻されました。
13世紀にはドイツ騎士団による侵攻を受け、その後も強いドイツの文化の影響を受けながら、リトアニア、ポーランド、スウェーデン、ロシアの支配を受けたのです。

首都リガはハンザ同盟の中核都市で、中世の面影を色濃く残した旧市街は1997年にユネスコ世界遺産に登録。

1918年11月に独立を宣言したが、1920年まで内戦状態が続き1940年には独ソ密約により旧ソ連となりました。
1941年~1945年までナチス・ドイツの占領を経て再びソ連領となる。
その間、1940年~1949年にかけて約8万人のラトビア人がシベリアに流刑され、また多くの国民が難民として国外に亡命しました。
この結果、1939年におよそ73%いたラトビア民族は1989年に52%まで減少。

1990年5月に独立回復を宣言するが、正式に独立したのは旧ソ連崩壊後の1991年8月でした。

独立回復で亡命していたラトビア人が帰国し、若い指導者を中心に新たな国造りに取り組みだしたのです。

とても美しい街、観光客にもやさしい街をお散歩しました。
これからラトビアを訪問する方の参考になればうれしいです。

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