【シベリア抑留】戦時下のロシアで日本人死亡者慰霊碑に参拝してきました。

シベリア

2024年9月14日(土)にシベリアの州都ノボシビルスクにある、日本人死亡者慰霊碑に参拝してきました。
日本人死亡者慰霊碑はノボシビルスク市内から南東方向に約24㎞のところにあります。

この記事を書いている人

ロシアとお付合いして30年が過ぎたMANAです。
NPO法人札幌ノボシビルスク協会の理事長として、2024年5月にノボシビルスクで開催された「日本フェスティバル」に参加するため、4年ぶりにシベリアを訪問しました。
民間交流事業としての国際交流を積極的に行っています。
プロフィールはコチラからどうぞ。

中心部からのアクセス

ノボシビルスク市内中心部から南東に約24㎞のところにあります。
南に行く幹線道路はアルタイ地方を通り、モンゴルまでつながっています。
オビ川沿いを走り、途中から東方面の道路へ入ります。

ノボシビルスク駅からタクシーに乗りました。
タクシーは「YandexGo」アプリを使うと便利です。
どこからどこまで行くか指定して、料金も表示されますのでボラれることもなく安心です。

今回は少し快適なタクシー(コンフォートタイプ)を選びましたので、料金はちょっとだけ高いです。
片道が1,200ルーブル(日本円で約1,920円)

週末の渋滞にまきこまれる

通常ですと、40分もかからず到着するはずですが、今回は渋滞に巻き込まれてしまい1時間30分もかかりました。
週末の土曜日ということもあり、市民のみなさんが郊外のダーチャ(ロシアでいう別荘)へ行き、芋ほりをする時期なのです。
気温が15度くらいで天気も良く絶好の芋ほり日和になったので、みなさんあわててダーチャへ向かった感じです。
なぜなら、来週には気温も下がり土も湿ってしまうので芋がダメージをうけてしまいます。
今週が芋ほりの最後のチャンスなのです。
長いシベリアの冬を乗り切る大切な食料です。

シベリア抑留について

シベリア抑留とは
第二次大戦後、ソ連軍による日本軍捕虜の抑留のことです。

終戦直後、旧満州、朝鮮半島北部、樺太や千島列島などから約64万人がソ連領内に連行されました。

捕虜収容所(ラーゲリ)はシベリア地域や極東地域を中心に、モスクワ以東のロシアや中央アジア地域(カザフスタン・キルギスタン・ウズベキスタン)に約2,000ヶ所に及び、捕虜はきびしい強制労働に従事させられました。

ノボシビルスクの収容所

極東の各地区と比べると少ないものの、ノボシビルスクにも収容所が所在しました。
昭和22年12月1日時点現在として、ノボシビルスクには14の収容所があったとされております。

慰霊碑について

慰霊碑は、旧ソ連地域で遺骨収集が事実上実施できない地域や遺骨収集がおおむね終了した地域(地方や州、共和国)について、一定の条件を満たした場合に建立されているものであり、ノボシビルスク全域で亡くなられた日本人の方々のための慰霊碑です。

ロシアの墓地

ロシアのお墓ってどんな感じなんだろう?
と想像した時、墓地の駐車場に車を止めて歩いて慰霊碑まで行くのだろうと思ったのですが、違いました。
慰霊碑のすぐ前まで車で直接行くことができたのです。

菊の花

墓地の近くにあるお花屋さんへ立ち寄りました。
黄色と白の菊の花が売っていましたのでそれぞれ1本づつ、合計2本を買いました。
1本350ルーブル(約560円)でした。

墓地の中へ

墓地の入口には教会がありましたので目印になります。

車で墓地の入口を入り、簡易舗装された道を進んでいきます。
入口付近には墓石屋さんがあり、道沿いにはたくさんのお墓が並んでいます。
木にも飾りつけがされていました。

日本人死亡者慰霊碑

道路沿いに立派な慰霊碑が建っていました。
文字が見えにくいので記載いたします。

さきの大戦後
1945年から1956年までの間に
祖国への帰還を希みながら
この地で亡くなられた
日本人の方々を偲び
平和への思いをこめて
この碑を建設する

竣工 平成19年11月
   日本国政府

あとがき

2024年5月にもノボシビルスクを訪問したのですが、時間がとれずに慰霊碑まで行くことができませんでした。
今年2回目のノボシビルスク訪問で、やっと参拝することができました。
戦時下のロシアへ訪問する日本人が激減しているなか、シベリア地域に来る日本人は本当に少なくなりました。
シベリア各地に日本人墓地や慰霊碑がありますので、機会があれば手を合わせてきたいと思っております。
動画もご覧いただけるとありがたいです。

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